長岡京たけのことは

京たけのこのはじまり

”京たけのこ”のふるさとは、乙訓(おとくに)地方です。ここ乙訓地方は、我が国に孟宗竹が最初に移植された地であり、禅僧道元が宋から帰国する際に持ち帰り、海印寺(現、長岡京市奥海印寺)の寂照院に植えた、また、同じく寂照院の院主の知人である宇治黄檗山主から持ち帰ったものを移し植えたとも伝えられています。孟宗竹の栽培の歴史は約300年で、この間に食味を高めるため栽培方法に創意工夫を重ね、現在の栽培法があみだされました。

たけのこ栽培の特徴

長岡京市などの乙訓地方におけるたけのこの栽培方法は、いわゆる『京都式軟化栽培法』と呼ばれています。この栽培方法の最大の特徴は、親竹の先を止めること、敷き藁、敷き草及び土入れを施すことなどがあげられています。この地の恵まれた気象と土壌条件と農家の1年間を通じ多くの労力を要する作業の繰り返しによって、毎年早春ともなれば我が国最高の品質を有するたけのこが生まれてきます。

たけのこ作りの一年

西山山地の東斜面や向日丘陵は、酸性の粘土質で水はけがよく、日当たりにも恵まれ、たけのこの生育に適しています。一年を通じて、まるで野菜を作る畑のように手入れされています。乙訓地域では、たけのこを作る竹薮を”孟宗畑”と呼ばれています。

掘り取り(収穫)

たけのこの収穫は、3月下旬頃から5月の上旬頃まで続き、最盛期は4月中旬から4月下旬頃までです。
たけのこに含まれる“えぐみ”は堀り取った直後から徐々に出始めるため、乙訓地方では、古くから当地方特有の“朝掘り”といわれる収穫方法で、まだ明けやらぬ早朝5時ごろから掘り取り作業をし、8時過ぎには出荷することで鮮度の高いたけのこを提供しています。

ささ竹と長岡京

我が国の孟宗竹発祥の地とされる長岡京市は、古くからささ(笹)、竹美林の名所として著名であり、その丘陵地帯の一角を占める鞆(とも)岡は、枕草子にも詠まれていました。この地方での竹の利用は、すでに弥生時代から始まっており、出土した弥生式土器には竹の模様が残されています。

参考文献:
『京の野菜 長岡京市のたけのこ』/京都農林統計協会
『京タケノコと鍛冶文化』/長岡京市教育委員会
『竹の文化』/向日市文化資料館

竹とたけのこの歴史

年代 歴史
延長5(927)年 この年完成した古代の法典『延喜式』(えんぎしき)に、朝廷に納める箸用の竹が、「乙訓園」産出と記される。
11世紀初め 『枕草子』に「鞆岡(友岡)は笹の生いたるがおかしきなり」とみえる。
応永23(1416)年 伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』(かんもんぎょき)に西岡の竹商人が登場する。
天明2(1782)年 桂宮家で、開田産のたけのこを題材に和歌が詠まれる。
大正7(1918)年 皇太子(のちの昭和天皇)が、たけのこ掘りの実演を開田で視察する。
平成24(2012)年 寂照院のモウソウチク林が京都府の登録天然記念物となる。
(宇治黄檗山の僧が中国から持ち帰り寂照院に贈ったものが、日本における孟宗竹の始まりと伝えられる。)

参考文献:『長岡京市文化財調査報告書第40冊京タケノコと鍛冶文化』

先頭へ